広島県福山市の名所・史跡について徹底解説!!

本記事では、広島県福山市の名所・史跡について紹介していきます。
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こんな方におすすめ
- 福山市に住んでみたい
- 福山市の名所について知りたい
- 福山市の暮らしについて知りたい
広島県福山市とは?

福山市は広島県東部に位置し、歴史や文化の豊かな城下町として知られています。
交通の便も良く、新幹線の停車駅や高速道路が通じているため、他都市へのアクセスにも優れています。
市内には福山城をとした数多くの名所・史跡があり、日常的に地域の歴史や文化を感じることができます。
福山城

福山城は元和8年(1622年)に築かれた近世城郭で、備後福山藩の藩庁・藩主の居城でした。
五層四重天守や複数の櫓を持つ大規模な城で、城跡は国の史跡に指定されています。
伏見櫓や筋鉄御門は京都伏見城から移築され、重要文化財に指定されています。戦災で天守は焼失しましたが、1966年に再建されました。
現在は博物館として利用されており、福山城の歴史や城の構造について学ぶことができます。
菅茶山記念館

菅茶山記念館は、江戸後期の儒学者・詩人である菅茶山(かん ちゃざん)を顕彰する施設です。
1992年開館しました。菅茶山は、1748年に備後の国安那郡川北村(現在の福山市神辺町川北)に生まれた儒学者で、私塾「廉塾(れんじゅく)」を開き、学問の普及に努めました。
彼が開いた私塾「廉塾」は史跡として保存されており、江戸時代の教育の様子を知ることができます。
第一展示室では菅茶山と江戸後期の文化・教育に関する展示、第二展示室では神辺町ゆかりの画家・書家の作品を展示しています。
「廉塾ならびに菅茶山旧宅」は1953年に国の特別史跡に、2014年には、「菅茶山関係資料」が国の重要文化財に指定されました。
相方城跡

相方城跡は芦田川南岸の標高約190mの丘陵上に戦国時代に築かれたとされる山城で、県指定史跡です。主郭部(山頂部の遺構)は、標高191mの東側曲輪群と標高188mの西側曲輪群に分かれ、幅約30mの空堀で隔てられています。
相方城は、最初に宮氏または有地氏によって築かれ、戦国末期に毛利氏が直轄城として主郭部を総石垣で築いたと考えられています。
城跡からは、当時の城郭の構造や周辺の地形を知ることができるでしょう。また、周辺には遊歩道が整備されており、散策を楽しむことができます。
太田家住宅

太田家住宅は、鞆の浦を代表する江戸時代中期~後期の商家・町家建築で、国の重要文化財に指定されています。
主屋や蔵などで構成された9棟の国の重要文化財や中庭が残っています。
かつては漢方薬酒「保命酒」の製造で栄えた中村家が建てたものを、後に廻船業の太田家が所有し、幕末には七卿落ちの公卿も滞在した歴史があります。
当時の商家の生活様式や建築様式を知ることができる貴重な資料として保存されています。現在は一般公開されており、見学することができます。
いろは丸展示館

いろは丸展示館は、1867年5月26日に鞆沖合で起こった鞆の浦で起きた幕末の海難事件「いろは丸沈没事件」に関する資料を展示する施設です。
「いろは丸」とかつて紀州藩が所有していた「明光丸」の衝突事件に関連する遺物や写真・イラスト情報が丁寧に紹介されています。
船の沈没状況も原寸70%の大ジオラマで再現されており、見応えがあります。
まとめ

いかがでしたでしょうか。
広島県福山市では数多くの名所や史跡が点在しています。是非一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
また、福山不動産では、不動産に関するご相談を承っておりますので、どうぞお気軽にお問い合わせください。