広島県福山市の藤尾の滝について解説!

広島県福山市新市町の藤尾の滝について解説します。

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福山市とは

福山市は、広島県東部に位置し、岡山県との県境に隣接する中核市です。

古くから瀬戸内地域の交通・物流の要衝として発展してきた歴史を持ち、城下町としての風情を残しながらも、産業や文化の中心地として独自の魅力を形成しています。

また、近年は「鞆の浦」をはじめとする歴史的景観や、「バラのまち」として知られる都市ブランドの発信など、観光資源の磨き上げにも力を入れています。

こうした背景から、福山市は“ものづくりのまち”としてだけでなく、“人が訪れるまち”としての価値を高めつつあります。

藤尾の滝とは?

藤尾の滝は、広島県福山市新市町藤尾を流れる父尾川に懸かる滝で、単独の滝ではなく、下流から一の滝・二の滝・三の滝と連なる三つの滝の総称です。

なかでも主瀑となる二の滝は落差23メートルの分岐瀑で、最上部で水流が二条に分かれ、水しぶきをあげて落ちる姿には迫力があります。

上流約1キロには1972年竣工の藤尾ダムがあり、一帯はかつて藤尾銀山で栄えた地でもあって、山中には坑道跡や銀を運んだ野呂往還が残っています。春の新緑、夏の清涼、秋の紅葉と四季折々の景観が楽しめますが、二の滝の滝見道は落石の危険があるため長く立ち入りが制限されており、実際に間近で見られるのは一の滝と三の滝になります。 

一の滝

落差およそ12メートルの直瀑です。高さの割に滝壺が広く深く発達しているのが特徴で、かつては夏になると地元の子どもたちが泳ぎ、飛び込んで遊ぶ場所でした。

二の滝

三つのなかで最も落差が大きく、資料によって23メートルまたは24メートルとされています。最上部で水流が二条に分かれて落ちる「分岐瀑」で、水しぶきをあげて岩肌を滑り落ちる姿は勇壮のひとことに尽きます。

ただし、現在この二の滝を間近で見ることはできません。滝壺へ続く歩道の岩盤に割れ目が生じ、落石の危険があるため、かなり以前から立ち入りが制限されています。藤尾の滝の主瀑でありながら、いま最も遠い滝でもあるわけです。

三の滝

落差は資料により8メートル、あるいは5メートルとされる直瀑です。三つのなかでは最も滝壺まで降りやすく、夏に気軽に涼を求めるならここになります。

上流には藤尾ダム

三つの滝の上流、およそ1キロの地点には藤尾ダムがあります。1972年(昭和47年)竣工の中心コア型ロックフィルダムで、堤高32.5メートル、堤長105.8メートル、貯水量810万トン、受益面積199ヘクタール。農業用水を支えるダムです。

つまり藤尾の滝は、完全な自然のままの渓流というよりは、ダムを頂点とする流域のなかにある滝ということになります。水量は季節や放流の状況に左右されるため、大雨のあとと渇水期とでは、まったく別の表情を見せます。

藤尾の滝の歴史

この一帯を語るうえで欠かせないのが、藤尾銀山(父尾銀山)の存在です。

伝承によれば、父尾地区は平安時代中期から室町時代末期にかけて銀山で栄え、最盛期には山の斜面に数千軒の家が建ち並んでいたといいます。その規模は、芦田川河口にあった中世の港町・草戸千軒をしのいだとまで伝えられています。ただし戸数については、4,000軒とも4,800軒とも資料によって異なり、時代の幅にも揺れがあります。数字そのものより、「山中に町があった」という記憶が語り継がれてきたことに意味があるのでしょう。

その町は、室町時代後半の豪雨による落盤で坑道が塞がれ、消滅したとされています。江戸時代初期には備後福山藩初代藩主・水野勝成が再開発を試みたとも伝わります。

いまも山中には坑道跡が残り、「千人塚」と呼ばれる場所があります。危険なため内部に入ることはできませんが、外から見ることはできます。また、銀を運び出した道である野呂往還は、父尾地区から蛇円山の頂上付近を経て、上安井大竹地区の大滝神社へ至るトレッキングコースとして歩く人もいます。

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