福山市の特産品を紹介!!【工芸品編】

こちらの記事では、広島県福山市について知らない方にとっても魅力や暮らしについてわかりやすく解説していきます。
前回の記事では、福山市のグルメについて解説しました。前回の記事はこちら。
福山市とは

福山市は広島県の南東部、広島市と岡山市の中間に位置する広島県第二の都市です。総人口は約45万人、合計特殊出生率においては都市部の中では非常に高い水準を維持している都市です(引用元:福山市人口将来展望分析, 2021年(令和3年)3月, 福山市)。
福山市は、瀬戸内海に面した歴史ある港町であり、その豊かな自然と文化の中で育まれてきた多彩な工芸品が魅力です。伝統的な技法を受け継ぎながらも、現代の暮らしに寄り添う品々は、地域の誇りとして大切にされてきました。
観光客に人気の工芸品や、地元で長年愛される逸品など、福山ならではのものづくりの粋を感じられる製品が数多く存在します。今回の記事では、そんな福山の工芸品の魅力についてご紹介していきます。
福山市の特産品(工芸品)一覧
備後絣(びんごがすり)

備後絣(びんごがすり)は、広島県福山市新市町と府中市を中心に作られる綿織物で、愛媛の伊予絣、福岡の久留米絣とともに日本三大絣の一つとして知られています。備後絣は1992年(平成4年)に「広島県指定伝統的工芸品」として正式に登録され、その価値が認められています。
この織物の歴史は江戸時代末期の1853年にさかのぼります。福山市芦田町の富田久三郎が絣織りを考案したのが始まりで、最初に作られた模様は井桁模様でした。明治時代に入ると、その美しさと斬新さから「備後絣」として全国に知られるようになり、工場での大量生産や機械化も進んでいきました。
備後絣が最も栄えたのは昭和30年代で、年間生産量は300万反に達し、一部の資料では1960年代に330万反を記録したともいわれています。当時は全国の絣生産の約7割を担う一大産地でしたが、洋服文化の普及や生活様式の変化により生産は徐々に縮小し、現在では僅か2社のみが伝統を受け継いでいる貴重な存在となっています。
備後絣の魅力は、綿素材ならではの丈夫さと実用性にあります。吸湿性に優れているため夏は涼しく、冬は暖かさを保ってくれるオールシーズン対応の織物です。洗濯機で洗うことができ、洗えば洗うほど味わい深い風合いが生まれます。
また、最も注目すべきは、その独特な製造方法です。柄にしたい部分を糸の段階で括ってから染める「先染め」という技法により、後から染める方法では表現できない深みのある色合いを実現しています。藍染、柿渋染、墨染など多彩な染色技法を用いて、様々な美しい柄を生み出しています。
また、備後絣で培われた染色技術や縫製技術、厚手生地の扱いのノウハウは、現代の備後地方のアパレル産業、特に国産デニム産業の基盤となっています。現在の備中・備後地域が世界に誇るデニムの産地として知られているのは、この伝統技術があったからこそといえるでしょう。
松永下駄

松永下駄は、明治11年(1878年)頃に製塩業で栄えていた松永地区で生まれた、福山の伝統工芸品です。塩を煮詰める燃料として大量に持ち込まれていたアブラ木が、下駄作りに適した桐材に性質が似ていることに地元の職人が注目し、下駄製造を始めたのがきっかけとされています。
当時高価だった桐下駄に比べて「庶民の履物」として手頃な価格で提供され、全国に普及していきました。明治40年(1907年)頃には全国に先駆けて機械化が導入され、昭和10年(1935年)頃には製造工程の完全機械化を実現しました。昭和30年(1955年)には生産量がピークに達し、年間5,600万足という全国トップの生産量を誇るまでになり、松永湾一帯が下駄用木材の貯蔵場として活用されるようになりました。
その後生産量は減少したものの、現在も市内の6社で年間約20万足が製造されており、時代の変化に合わせて木製ヒールやサンダルなどの新しい製品開発も行われています。こうして松永は「履物の一大産地」として現在も発展を続けています。
また、松永には、下駄製造100周年を記念して地元の老舗製造業者によって設立された「日本はきもの博物館」があります。この博物館では、国の有形民俗文化財2,266点を含む約1万3千点もの履物を収蔵しており、松永下駄の歴史的背景があったからこそ実現した「田下駄から宇宙靴まで」という幅広いコレクションが特色となっています。
加えて、かつて毎年9月には松永駅周辺で「ゲタリンピック」というユニークなイベントが開催されていました。重さ900kgの巨大な下駄を引く「ゲタさばり」や、下駄を投げて飛距離を競う「ゲタ飛ばし」など、下駄にちなんだ競技が行われ、全国から注目を集めていました。
福山琴

福山琴は、広島県福山市で製造されている琴で、その歴史は江戸時代初期に福山城が築かれた頃まで遡ります。当時の城下町では芸事が盛んに行われ、歴代藩主の奨励もあって歌謡や音曲が栄えていました。幕末から明治にかけては、琴の名手である葛原勾当や、琴曲「春の海」で知られる宮城道雄といった福山ゆかりの琴曲家が活躍し、琴曲の人気拡大と需要の増加に大きく貢献しました。
福山琴は、楽器としては初めて1985年(昭和60年)に国の伝統的工芸品に指定され、2006年(平成18年)には地域団体商標にも登録されています。
福山琴の製造には最高級の桐材が使用され、原木は1年から3年もの歳月をかけて自然乾燥させます。製造工程のほとんどが現在も手作業で行われており、甲(琴の表面)の木目の美しさや華麗な装飾が大きな特徴となっています。
特に、漆で文様を描き金や銀などを蒔き付ける蒔絵は琴の装飾において重要な役割を果たしています。甲の裏側には綾杉彫りや簾目彫りなどの模様が施され、最高級品には「麻型彫り」と呼ばれる精巧な彫り方が採用されます。また、甲と裏板の合わせ方で継ぎ目が見えない「クリ甲」は、滑らかな手触りと高級感を醸し出します。これらの装飾には多くの時間を要し、高級品では一面を仕上げるのに1~2週間かかることもあります。
音色においても非常に優れており、これは熟練した職人が原木選びから音質を考慮し、甲を削る際に完成後の音色を想像しながら作業を行うことで生み出されます。この音色の境地に至るには10年もの歳月と職人の感性が必要とされます。
最盛期の1970年頃には年間約3万面が生産されましたが、現在は約3千面に減少したものの、依然として全国トップクラスのシェアを誇っています。
まとめ

福山市には、長い歴史と豊かな風土の中で育まれた多彩な工芸品が存在します。備後絣の持つ実用性と美しさ、松永下駄が生んだ履物文化、そして福山琴が奏でる繊細で品格ある音色——いずれも、福山の「ものづくり」の魂が息づく逸品です。これらの工芸品は、単なる伝統にとどまらず、現代の暮らしの中でもその価値を見出すことができます。
また、これらの産業が地域の雇用を支えたり、観光資源として人々を惹きつけたりと、まちの経済や文化の礎になっている点も見逃せません。地方創生やサステナブルな暮らしが注目される今こそ、福山の工芸品は新たな価値を見出されるべき存在といえるでしょう。
今回紹介した工芸品以外にも、福山市には地元で愛される伝統文化や、地域に根ざした産業が多数存在します。福山市に暮らすということは、こうした「地域の物語」と日々ともに過ごすということでもあります。
福山での暮らしにご興味のある方、工芸品に触れてみたい方は、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
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